FAM2000報告書

石津 健太郎 (福岡第20団ローバー隊)

概要

期間
平成13年3月16日〜18日
場所
財団法人ボーイスカウト福岡県連盟脇山野営場
テーマ
Look Wide!
趣旨
FUKUOKA ASIA MOOT(FAM)は一昨年、昨年に続き3回目の実施となる。これまで2回開催したFAMの目的の1つは、同年代スカウトとの交流である。前回、前々回同様に、ローバースカウト年代の交流の場が欲しいという機運が現在高まっている。今回の大会では県内及び県外、海外のスカウトと単に交流するだけでなく、その中で自分のローバースカウト活動を見直し、視野を広げることを目指している。様々な選択プログラム及び他のスカウトとの会話の中で、いろいろな考え方を知り、これまでと違った角度から物事を見ることができるようになることを期待する。
また、大会中で知り合ったスカウトとの継続的に情報交換をすることで、ローバースカウト活動の活性化をはかりたい。
参加者
 
日本人ローバースカウト 13名
台湾ローバースカウト 9名
韓国ローバースカウト 2名
アドバイザ(台湾2名含む) 5名
29名

 

開会式

今回、アジア各国から集まったスカウトは総勢30名弱。構成は日本のスカウトと外国スカウトで半々となった。より国際色の強い大会となる予感が・・・。司会進行や挨拶にも前回までにはみられなかったような日本語と英語を交えて行なわれた。

営火

言葉も違い、文化も違う仲間たちが炎の前では、やはり同じスカウトだった。各国、各地域のそれぞれの特色
あるスタンツや歌や罰ゲーム!?参加者の心が一つになった瞬間だった。

山崎による「パラレルいかがっすかー」の英語バージョン↑
 

PRタイム

全員の前で自分のことについてPRを行った。
伝えたいことを一生懸命に。手振り身振り、言葉もいろいろ。
 


 

ディスカッション

やはり、言葉の壁はあった。意図が伝わらなくて興奮気味になった班も。
しかし、最終的にはお互いの意見を尊重して班の意見をまとめることができた。
班ごとの意見を模造紙に書きこみ、次のプレゼンテーションにそなえる。
 


 

プレゼンテーション


 

食事

 

 
 
 
 
 


 
 

台湾スカウト担当の朝礼

18日朝の朝礼は、台湾グループの主導により非常に緊迫した中でとり行われた。
上のメモは、朝礼後に教えてもらった朝礼プログラムである。


 

閉会式


 
 

和服を着てみた!

女性の方に手伝ってもらって、和服を試着してみました。


 
 

台湾グループの福岡到着から開会式前日までの足取り(3月14日〜15日)


県連盟の指導者の方の乗用車を利用させていただいて、まず福岡空港から太宰府天満宮へ向かいました。

太宰府天満宮の後はももちまで行き、シーホークホテル最上階で福岡市を眺めたあとで、福岡タワー下から西新
岩田屋まで徒歩で散策しました。そして、そこからバズで脇山野営場まで移動しました。
 

15日は台湾スカウトの要望により、みんな早起きして博多駅にバスで向かい、JR鹿児島本線に乗ってスペースワ
ールドへ行きました。

帰りは博多駅で日本料理の定食屋さんでの食事をしました。
料理の名前などを教えてあげました。
お互いの名前とか年とか分かってきて、だんだん打ち解けてきています。
 

日本出発までの足取り(3月18日〜20日)

閉会式狩猟後に撤収を行ってから、台湾グループは博多駅近くのホテルへ移動しました。

それからは、彼らの計画にまかせて我々は脇山野営場撤収の最終確認を行いにまた脇山へ戻りました。

ところが、台湾スカウトの一人から伊藤士君の携帯電話に、「いっしょに遊ぼう」という電話がかかってきて、また集まれるメンバーで博多駅に集合することにしました。ファミリーレストランで食事をしたりして、18日は別れました。

19日朝は、城戸と石津が博多駅で待ち合わせをしていました。

櫛田神社、川端商店街を歩いてみて回った後、地下鉄で天神へ行って、西鉄大牟田線に乗り換えてから県連事務局へ行きました。そこで思いでのメッセージを模造紙に書いて、近くのレストランで食事をしました。

それから天神に行って、みんなで分かれてから個別活動にしました。2時間ぐらい天神を回ってエルガーラの下に集合でした。この時点で17時ぐらいで、これから木内君の台湾つながりの方と会うために長浜公園に歩いていったのですが、途中時間があったので喫茶店で雑談とかしてました。

夜は3つのグループに分かれて、長浜周辺の屋台で食事をしました。バスで博多駅まで行き、朝に迎えに行くことを約束してから我々と分かれました。
 

櫛田神社にて


↑19日の夜、博多駅にて。木内は仕事の都合で、これが最後のお別れなのでした。

20日の朝は、他の指導者の援助もいただいて福岡空港まで送ってあげました。
そして「次はいつ会えるかな?」とか「絶対台湾に来てよ!」という約束をして、彼らは日本を去っていったのです。


↑涙に備えて、彼らはあらかじめティッシュを用意していたのです。
 

その他アルバム

実行委員長 山崎